
「リフォーム」「引っ越し」「老人ホーム」は要らない
自宅を介護用にリフォームしようとすれば、底なし沼。
バリアフリー化は費用が高い上に、病状の進行度合いなどによって必要なリフォームはどんどん増えていく。
しかも、莫大な費用をかけた上に、売却価格は低下し、、買い手が付かなくなってしまうリスクまである。
バリアフリー化なんて、必要の無い人にとっては邪魔だけであり、売却の障害になってしまう。
自分で食事やトイレに行けないといった要介護状態になってしまったなら、特養などの介護施設に入るという選択肢もある。
無理して自宅をリフォームしてまでしがみつく必要は無い。
老親を在宅介護しようとも考えてはいけない。
憧れの田舎暮らしのための引っ越しも危険。
田舎なんて、利便性悪くて日々の買い物に苦労するし、いざ病気や怪我をしても近くに病院が無い。
最低限、車の運転が出来ないと生活困難である事も盲点になってくる。
ただでさえ都会でロクに車に乗ってこなかったペーパードライバーが、いきなり年食ってから車を運転しなきゃならないのは厳しい。
夫婦で田舎に移住したとしても、パートナーが先立ってしまうと、周りに知り合いも居ない田舎で、都会よりも圧倒的な孤立感は凄まじい。
老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)のような施設に入居すれば、孤独死とは無縁だろう、という発想も危険。
実は、住宅型の老人ホームやサ高住などは、基本的に「元気な人」向けの施設なのである。
いざ認知症が発症したり寝たきりになったら、追い出されてしまう。
「認知症介護」と謳っている場合でも、介護付き有料老人ホームや特別養護老人ホームに比べるとサービスが見劣りするもの。
老人ホームやサ高住は、「終の棲家ではない」という事はよく覚えておく必要がある。
大金払って高級老人ホームに入ったところで、たかが知れている。
ちょっと外出するにしても行き先と帰宅時間を告げなければならないし、楽しくもないレクリエーションに参加させられる。
カゴの中の鳥のような暮らしにうんざりしてしまう事となる。
結局、無理して我が家を離れる事なく、そのまま住み続ける方が無難。
人間ドックは要らない
人間ドックでは、全身のがんを調べるPET検査や心臓ドック、大腸がん検診など、ありとあらゆる検査が行われ、身体の隅々まで異常がないかどうか『粗探し』される。
検査を受けた人は、コレステロール値や血圧が去年よりも高くなっていないかとビクビクし、数値に一喜一憂する、そんな疲弊するだけの検査にどんな意味があるのか。
逆に、検査前日だけ暴飲暴食控えて、結局どんな数字出ても不健康自慢のネタにするだけの人間も、検査を受ける意味なんて無い。
別に、人間ドックの数値が正常値だからって長生き出来るというエビデンスは無い。
薬を飲んだり、生活を規制して苦しい思いまでしながら、長生きを目指すことの意義とはな何か、考える必要がある。
そもそも、人間ドックを受ける行為自体、肉体的に大きな負担となる。
例えば、肺に異常な影が見つかったともなれば、さらなる苦痛を伴う再検査が待っている。
細いファイバーを飲まされて、生検まで受けさせられる。
検査のために体にメスを入れられ、その傷口が回復するまでの間はずっと辛い痛みが続く。
加齢とともに肉体が衰えていき、検査で何らかの異常値が出てしまうのは当たり前。
深刻な自覚症状もないのに、わざわざ検査を受けて病気を見つけに行く必要なんてない。
「葬式」「同窓会」「酒席」「会食」に出席する必要ない
大して親しくもない人の葬式に、世間体を気にした上での義理で出席する必要などない。
どうしても不義理にならないか気になるのなら、お悔やみの盛花を贈るようにするだけでもいい。
たくさんお花が送られてくる葬式当日ではなく、お花が途切れた頃であろう四十九日などにお花を贈るというテクニックもある。
同窓会、暇を持て余した連中と昔話ばっかりしてても、脳には何の刺激にもならないし、むしろ退化してボケまっしぐら。
酒席、会食、パーティー、みんな要らない。
今は有り難い事に、何でもコロナを理由にして断り放題。
他人に媚びを売らず、孤独と自由を満喫すべし。
孤独死とは何か
現在日本では2000万人近くが独居、孤独死は年間3万人を超える。
親族が居る場合でも、様々な理由で疎遠となり、発見が遅れるケースが多い。
結婚して子供生んだって対策にはならない。
息子の子供は孫じゃなくて、嫁の子供。
いちいち嫁の顔色伺わなくても可愛がれる娘の子供こそ、真の孫。
昭和世代の専業主婦の価値観
風呂場で孤独死、スープに。
保護猫引取りたくても、独身一人暮らしの時点でアウト
猫を飼うことは活力のひとつとなるかもしれない。
今、自分がこの部屋で死んだらこの子はどうなるのだろう。
やがて、餌も尽きてそのうち食べられるものといったら・・・
そんな最悪の事態を想定し、頑張って柱も増やして死なないようにしようと努力する。
「お金さえあればなんとかなる」わけでもない
よっぽどの大金持ちとかでもない限り、人との繋がりを完全に断ち切って死ぬのはかなり難しい。
とにかく、他人との繋がりを切るのは危険。
孤独死でも、親族がいたとしても、様々な理由で疎遠となり、結果的に発見が遅れるケースは多い。
仮にお金が無くて生活に困っていたとしても、周囲に頼れる人や相談出来る人がいれば最悪のケースは回避出来る事が多い。
ただ、コミュニケーション能力に自信が無い人が、急に親戚や友達との距離を縮めようとすると、不自然な行動を取ったり、余計な事を言ってしまったりして、逆に孤立してしまう可能性がある。
「老後のためにみんなと仲良くしよう!」と急に思い立って仲良く出来る人なんていない。
そんな能力がある人は、そもそも昔からちゃんと仲良く付き合いが出来ていたコミュ強リア充。
友達も恋人もいない独身コミュ障が、いきなり無理して周囲の人たちとの距離を縮めようとしてはいけない。
最近はどんどん孤独死が増えていき、イギリスに次いで日本でもついに「孤独・孤立対策担当大臣」が任命された。
親戚や友達と仲良くなんて出来ないのなら、一人暮らしのお年寄りを見守ったり支援したりする団体も増えてきているので、そういった人たちと積極的に繋がっていく事を考えてもいい。
婚活アプリは地獄 イマドキ結婚しても安定はない
結婚すれば将来安泰なんて、昭和の発想
無料婚活アプリなんて、パパ活で金稼ぐ事が目当ての若い女と、ロリコンのおっさんしかいない魔境。
40台50台のおっさんでも平気で20台狙いに行く気持ち悪さ全開の世界。
女性は30台でももはや需要なし。
来るとしたら、50近い男が自分の親の介護とかを押し付けるために、人手要因として近づいてくるだけ。
ロリコンでは無い紳士諸君にとっても、パパ活目当てと地雷女しか居ないんだから、アテにしてはいけない。
子供が老後の面倒見てくれるというのも、もはや都市伝説。
頑張って子供育てたところで、自分の老後の面倒見てくれる立派な孝行子息が出来上がるとは限らない。
年功序列終身雇用が幻となって消え去り、20年後30年後の未来なんて一切見通せない今、子供だって自分の生活に手一杯で親の面倒見る余裕なんて欠片も無い可能性は高い。
子供が自立するのかどうかさえ、賭けである。
定職に就けない子供と親の共倒れも絶賛増加中。
親や親族が「結婚しろ」「子供つくれ」と助言してきても、耳を貸しちゃいけない。
親のアドバイスなんて碌でもないんだから、聞いちゃだめ。
結婚すれば安心なんてメンタル、通用しない。
親の終活問題 絶対一人で自宅介護は引き受けるな
自宅介護は本当にきつい。地獄である。
お金も無限に無くなる。
自分のお金で介護費用を賄ってはいけない。
自分の老後の蓄えまで無くしてしまってはいけない。
自分の老後は、親の老後の延長線上にある。
親に終活させるのは非常に難しい。
一番大事なのは、まずコミュニケーションの回数を増やす事。
ろくに交流もしていない子供から突然「家を掃除してくれ」「遺書を書いてくれ」と言われても、親が素直に従ってくれるわけじゃない。
日常的なコミュニケーションをある程度とった上で、その延長線上で「そういえば・・・」と切り出せる事が理想。
相手の希望全て叶えるのがパートナーや家族の役目であるとは絶対に考えるべきじゃない。
自宅介護経験者は、「介護には絶対に外部の助けが必要」と口を揃えて語る。
「コミュニケーション」「知識」「お金」のバランス
老後に安心して暮らすためには、「コミュニケーション」「知識」「お金」のバランスが重要になってくる。
人付き合いが苦手なコミュ障ならば、その分お金と知識は蓄えておくように意識したり、お金が無いならせめて周りとのコミュニケーションや終活の知識は大事にしておくなど、自分なりのバランスの取り方を考えておく必要がある。
特にお金が無くてもコミュ障でも、大事になってくるのは「知識」の部分。
日本は「お金が無い人は生きられません」という国ではない事には、一応なっている。
人に頼れば死なない程度には生活を助けてもらえることには一応なっている。
だが、知らないと使えない制度というものがとても多い。
だから、困った時にどんな窓口やサービスを頼りにすればいいのか、自分の心身が大丈夫なうちから把握しておかないといけない。
今までは、「子供の世代がどうにかしてくれる」という価値観が社会全体にあったから考えずに済んできただけで、もう今の時代はそうじゃなくなっている。
一人で老後を迎えたら、当然、自分で自分の面倒をどう見るか考えなきゃいけない。
例え、都心で暮らしてる子供や孫が居たとしても、面倒を見てもらえるとは限らない。
普段は子どもたちとコミュニケーション全く取ってないけど、いざとなれば、息子の嫁や娘が実家に帰ってきてくれて、自宅介護で最後まで面倒見てもらえる、なんて幻想は捨て去らねばならない。
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