依存症 酒タバコ糖質薬物ネットスマホゲームオナニーギャンブルセックス買い物

[三年寝て太郎]の「1日5分」3週間で一生アルコールがやめられるトレーニング

「我慢」ではアルコールはやめられない

アルコールを我慢すると、ストレスが溜まってしまう。
ストレスが溜まると、「アルコールを飲んでストレス状態を解除しろ」と、本能が暴れ出してしまう。
どんなにアルコールをやめようと決心していたとしても、本能の要求に逆らうことは出来ない。

気合と根性だけでも、少しの間ならアルコールを我慢することは出来るかもしれない。
しかし、3日、1週間、1ヶ月、3ヶ月と我慢を重ねていくと、どこかで本能が暴れ出してしまう。
我慢して、我慢して、でも我慢出来なくなって飲んでしまって、こう思ってしまう。
「やっぱりアルコールをやめるのは難しいんだ」
やめるのは難しいと信じてしまったら、頑張ってやめようという気力は湧いてこなくなる。
そしてまた、飲み続ける日々に戻ってしまう。

ドーパミン

「気持ちがいい」という感情は、脳でドーパミンというホルモンが分泌される事で起こる現象。
脳内の報酬系と呼ばれる神経系が活性化し、額の奥にある前頭前野にドーパミンが流れるとき、人は「気持ちがいい」と感じるようにできている。
このドーパミンは「気持ちよくなるためにその行動がしたい」と、運動を促す働きがあるので、「やる気ホルモン」とも呼ばれている。

気持ちよくてやる気が出るドーパミンは、「生きる上で重要なこと」をしている時に、分泌される。
食、性、健康といった直接的なこと、家族や仲間との時間、それを守るために必要なお金や仕事に対しても分泌される。
脳の運動である抽象的な思考や趣味によっても、分泌される。
ドーパミンは、命を維持して繋げていくための行為や知的な活動に対して分泌され、それを「気持ちがいい」と感じる事が出来るようになっている。

アルコール依存症患者のドーパミン神経は破壊されている

様々な活動によって分泌されるドーパミンだが、アルコールを長時間摂取していると、ドーパミンを分泌させる神経が壊れてしまい、アルコール以外ではドーパミンが分泌しなくなってしまう。

アルコールを摂取すると、ドーパミンが大量に分泌される。
すると、脳は「アルコールで大量にドーパミンが分泌する」ことを覚える。
毎日、何日も何年もアルコールを飲み続けると、次第に脳は「もうドーパミンはアルコール摂取した時だけに出せばいい」「その他のことでドーパミン出すのは面倒だからやめる」とサボり出してしまう。

ドーパミンは本来「生きる上で重要な事に分泌される」ものなので、アルコールでしかドーパミンが出なくなった場合、アルコールだけが生きる上で重要な目的となってしまう。
そうなると、「アルコールのために生きている」「アルコールだけが喜び」という立派なアルコール依存症患者になってしまう。

必然的に今まで重要だったはずの食や健康、家族や仕事の重要度は下がってしまう。
ドーパミンが出なくなったものは大事だと感じられなくなる。
アルコールと併用する事でしか物事と関われなくなり、酔っ払いながら食べる、酔っ払いながら人と関わる、酔っ払いながら働く、というように生活全般がアルコールに支配され、健康や環境はどんどんと悪化していく。

アルコール依存症患者の人生は虚しいものとなっていく。
気持ちがいいこと、楽しいことが全てアルコールだけになってしまうので、飲む以外の時間は全て虚しく感じるようになっていく。
好きだったもの、楽しかったもの、今まで大切にしていたもの、それらに触れても、もはやドーパミンは出なくなってしまっているから。

ドーパミン神経はすぐに回復可能

アルコール依存症によってドーパミン神経は壊れてしまうが、実はドーパミン神経はすぐに回復する事も可能。
深刻な慢性アルコール障害であっても、脳の再生はたった1週間で爆発的に進む。
ニコチンの場合でも、ネズミを使った実験で、ドーパミン神経が禁煙後5日間で回復するというデータもある。
3週間もすれば、すっかり全快できる。

ストレス

しっかり3週間以上禁酒すれば、ドーパミン神経は回復してくれる。
しかし、長期間の禁酒に成功した人で、再び飲み始めて逆戻りとなってしまう人は多い。

再び飲み始めてしまう最大の理由は「ストレス」
仕事で上司にひどく怒られたり、パートナーと大喧嘩したり、急に起きたトラブルによって怒りや不安・悲しみといった感情とともに起きる「突発的なストレス」によって、衝動的にアルコールを求めてしまう。
解決しない不安や悩みを抱えながら生きていく事により、日常的に感じ続ける「慢性的なストレス」が溜まっていき、何かにきっかけで「もう飲んじゃおうかな」とアルコールに手を出してしまう。

「我慢してやめる」はストレスの再生産

突発的なストレスにせよ、慢性的なストレスにせよ、アルコールを再び飲んでしまうのは、結局はストレスが原因となる。
「アルコールを我慢してやめる」という方法は、それ自体がストレスの発生原因となってしまうため、やめればやめるほど、ストレスは高まってしまう。
溜まっていくストレスを一生抱え続けることは難しく、「我慢」のストレスはいずれどこかで爆発し、本能が「アルコールでドーパミンを出せ」と暴れ出してしまう。

我慢してアルコールをやめていても、「アルコールは重要なもの」「我慢しているだけでアルコールそのものは大好き」という意識が残り続けてしまう。
例え長期間我慢出来ていたとしても、楽しくなりたい時、助けてもらいたいと思う時には、アルコールが頭に思い浮かんでしまう。
アルコールを我慢して止めてはいるけれども、アルコールの事はずっと好きなままでは、きっかけさえあれば再びアルコールに手を出してしまうことになる。

楽しいものが移る、楽しいものが変わるという発想

幼い頃熱中していた遊び、たとえば積み木遊びを大人になってもずっと続けている人は極めてまれである。
大半の人々は、途中でもっと面白いおもちゃに乗り換えていく。
積み木から他のおもちゃに乗り換えるときに、我慢して積み木をやめなくちゃと決心してやめた人はいない。
自然に他に楽しいことができて、自然と積み木をやろうとは思わなくなる。
積み木への熱中も、ドーパミンの分泌によるもの。
しかし、他のおもちゃでもドーパミンが分泌されるようになれば、積み木への興味は無くなっていく。

アルコールに熱中している人も同じで、自然にアルコール以外のことに熱中出来れば、その人は時間とともにアルコールに興味がなくなっていく。
そうすることが出来れば、我慢することなく、もっと楽しいことを選ぶ、好きなものに熱中していくだけで、禁酒する事が出来るようになる。

アルコール以外のものが好きになるまで、ドーパミン神経が回復する3週間が肝となる。
その3週間の間で、他に興味が移りやすくなるような土台を作っておけば、アルコールへの興味を自然に消滅させていく事が出来る。

アルコールを楽しくやめるために必要なこと

  • アルコールへの欲求を低下させる
  • ドーパミン神経を回復させる(一般的に3週間ほどの期間が必要とされる)
  • アルコール以外の新しいドーパミン経路を作る
  • 突発的なアルコールへの欲求に対処する
  • アルコールへの価値観を変える

ファイト・オア・フライト 闘争か逃走

不安、恐怖、怒り、悲しみ等の激しい感情が起こっているとき、衝動的にアルコールを求めてしまう。
これが、人間の脳が生命の危険を感じた時に発動する「ファイト・オア・フライト」
「動物として本能のまま戦う」のか、「動物としての本能のまま逃げる」のか、そのどちらかを選択させるプログラム。
ファイト・オア・フライトが発動すると、強く戦えるように、速く逃げられるように、怒りや恐怖の感情が湧き上がってくる。
そして、闘争か逃走以外を考えないように、思考能力も低下してしまう。

ファイト・オア・フライトは、原始時代に獣から命を守るためには非常に役立ったプログラムだったが、現代社会においては誤作動を頻発してしまう。
上司に怒られた、他人と意見が合わない、といった命の危機でおない場面で、ファイト・オア・フライトが発動してしまう。
頭を使って解決すればいい場面でも、勝手に思考能力を低下させ、怒りの感情と恐れの感情を抱かせ、「殴るか逃げるかして解決しよう」と、身体を戦闘モードにしてしまう。
直接的に危険がないこと、例えばテレビで不安を煽られたりすることでも、状況によってはファイト・オア・フライトが発動してしまう。

現代社会においては、ファイト・オア・フライトが発動したとしても、当然ながら物理的に殴ったり、走って逃げたりするわけにはいかない場面が大半である。
ファイト・オア・フライトが発動しているにも関わらず、殴る事も逃げる事も叶わず、結局問題が解決出来ないままだと、身体はずっと戦闘モードに入ったままで、ストレスだけが溜まっていく。
いつまでたっても思考能力が低下したままとなり、怒りや恐れ、不安の感情が増幅していってしまう。

ファイト・オア・フライトで緊張状態が続くと、脳は緊張緩和のためにドーパミンを要求する。
アルコールでしかドーパミンを分泌出来ない人は、アルコールが飲みたくて飲みたくて堪らなくなってしまう。
激しい怒りや不安の感情が渦巻き、思考能力が低下している状態において、本能がアルコールを求めてしまう。
こうなってしまえば、意志の力でアルコールを我慢し続ける事は困難となり、つい飲んでしまう事になる。

ファイト・オア・フライトによるストレスホルモンを消すには、戦うか逃げるかが必要となるのだが、それに似た動作としてフィットネスやマラソンといった運動を行えば、脳が勘違いしてくれてファイト・オア・フライトを解除してくれる。
フィットネスやマラソン、更には格闘技を趣味とする人が多いのは、このようにストレス解消にも繋がるから、とも考えられる。

運動が苦手なら、リラックスによるスイッチオフによってもストレスホルモンを消す事が出来る。
脳にドーパミンを分泌させ、抽象的な思考をする事でリラックスする事が大事となる。
好きな食べ物、温かい飲み物、入浴、ゆったりした服装などで快適な空間を整える。
お笑いなどの楽しい動画を見て笑う、好きな音楽を聴きながら手や体でリズムを取る、好きな俳優の映画やドラマを見て泣いたりする、好きな趣味に没頭する。
こうしてリラックスする事によっても、ファイト・オア・フライトのスイッチをオフにする事が出来る。

『◯◯やめる宣言』はしてはいけない

酒、タバコ、糖質、やめた方が良い習慣について、特にダイエットを指南する書籍やWEBサイトには、周囲に宣言した方が良いと薦めている事も多い。
しかし、周囲にいる常識に囚われた「善意の人」からしょうもない下手アドバイスを受ける危険性が高いため、宣言するのは危険だし、静かにやめると決意した方がいい。
他の理由を付けて、徐々に昼飯や喫煙室、呑みへの誘いを断っていく。
幸か不幸か、コロナ禍のおかげでどんどん断りやすい環境は整備されていっている。
潰れてしまう居酒屋は気の毒だが、自身の健康を最優先するのであれば、酒提供が制限されたり閉店してくれているこの状況は好都合ともいえる。

「かなり痩せたけど、具合悪いんじゃないの?」
「もっと食べないと元気出ないよ?」
「無理しすぎはよくないよ、もっとゆっくりやめればいいんじゃない?」
周囲にいる常識に囚われた善意の人々から受けるこうしたアドバイスは、ただただ害悪でしかありません。
健康診断の結果を受けて、不健康自慢をしているような連中のアドバイスなんて受けてはいけない。
周りの人々は、例え良いはずの変化であっても、「今までのあなたのイメージ」に合致しない変化に戸惑い、心配してしまうのだが、そうした声に惑わされ続ける限り、酒もタバコも糖質もずっと止めれなくなってしまう。

地上波テレビは依存症ビジネスの広告媒体

地上波のテレビは観てはいけない。
それは、下らないバラエティばっかりだとか、報道番組はフェイクニュースまみれだからとか、そんな理由ではない。
地上波テレビが収入源としている「広告」に大きな問題点があるからだ。
喫煙を促すCMは無くなったが、飲酒や暴飲暴食を促すCMは現在も山ほど流れている。
SDGsとか環境問題とか偉そうに論じてる癖に、CMになるとアルコールや糖質の過剰摂取をやたらと促してくる。

アルコールの広告費だけでも年間2000億円、アルコールを飲みたくさせる事だけを目的として2000億円もの費用が投じられている。
その2000億円もの予算を使い、一流のクリエイターが、人間の本能を呼び起こすための仕掛けをふんだんに施したコマーシャル映像を製作し、アルコールは素晴らしい、アルコールを飲めば幸せになれる、と人々の脳裏に訴えかけている。
欧米のテレビCMでは規制されていて使えない映像や音の表現が使い放題、タバコには厳しくなってきた規制も、酒に関しては全くなし。
こうした健康面への悪影響を考慮した規制が無いまま、コロナ対策という名目で自粛という名の禁酒令を連発しているから、歪みきったヘイトが集まり、むしろ逆に人々に飲酒したい欲求を呼び覚ましてしまう。
苦境に陥った居酒屋のニュースや、家飲みを推奨する呼び掛けもあるため、今やコロナ関連のニュースですら、飲酒欲求を刺激されかねない。

ストレスがかかっているとき、ファイト・オア・フライトの状況のときにテレビCMを観てしまうと、絶対に飲みたくなってしまう。
地上波テレビ放送は、絶対に観ないようにしたい。

もちろん、同じく広告費によって費用が賄われているTver、YouTubeなども観てはいけない。
自分で費用をきちんと払い、広告無しで動画サイトを楽しむべきである。
Netflixにお金を払って、質の高い映画やドラマを視聴する事で、ダラダラと酒呑みながら地上波テレビ観る習慣を撲滅すべき。

「頑張る」は危険「頑張る」の反対は「楽しむ」

依存症からの脱却を図る際に、「頑張る」は大変危険。
「頑張る」「頑張っている」という状態は、必然的に「我慢」を伴っている。
「頑張っている」ときは、必然的に交感神経優位のストレス状態に陥ってしまっている。
このストレスが掛かった状態が続けば、ドーパミンが欲しくなり、結局は酒や煙草、糖質が欲しくなってしまう。
何かをするときに「よし、頑張るぞ」と気合を入れてしまう真面目な人、再びアルコールに手を出してしまう危険性も高くなってしまう。

では、「頑張る」のがダメなら、「頑張らない」のが良いのかといえば・・・
そこで発想を転換し、「頑張る」の反対は「楽しむ」事だと捉える意識が大事になってくる。

自分のやりたいことをやっている人には、「頑張る」という感覚がない。
どんなに大変そうなことでも、やりたいことをやっている本人からすれば楽しく望んでやっていることなので、そこには「我慢」がない。
起業して会社を経営するにしても、成功している人ほど「頑張って経営している」のではなく、自分がビジネスをしたい、面倒やリスクを負いながらも常に新しい事にチャレンジしたい!、自分がそれをやりたくてしょうがないんだという気持ちで事業に挑戦している。

「1000時間あればプロになれる」を意識する

勉強でも趣味でも、何か新しい事を始めた際、プロの入り口レベルまで到達するには1000時間の学習が必要と言われている。
1000時間というと途方も無いくらい長い時間のように思えるが、毎日3時間×365日で1000時間に到達する。
毎日アルコールを摂取している人ならば、1日3時間、年間で1000時間ぐらいは酔っ払っている。
今まで酔っ払っていた時間を無くして、新たに興味のある事に熱中する事が出来れば、毎年1つのことをプロ並みに習得する事も不可能ではない。
アルコールをやめて、他の楽しいことに熱中するだけで、その楽しいことが社会の役に立ったり、仕事になったりする可能性もある。

砂糖・糖分依存症

砂糖にも、アルコールと同様の依存症が認められている。
アルコールや薬物依存と同様に、摂取の増大(もっと欲しくなる)が認められ、摂取を停止すれば離脱症状が起き、やがて砂糖を渇望するようになる。

但し、砂糖にはアルコールやドラッグほどドーパミンを暴走させる働きはない。
ただ、大量にドーパミンが出るし、暴走させる作用があることには違いない。

砂糖の場合、オピオイド受容体に作用して、ドーパミンを暴走させる。
オピオイドは苦痛を和らげる快楽物質で、鎮痛効果もあるため、モルヒネというオピオイド系の化合物は手術などにも用いられる。
オピオイド系鎮痛薬といえば、アメリカでは処方された鎮痛薬を乱用して薬物中毒に陥った数が1000万人を越え、数万人規模での死者を出したことから、社会問題にもなっている。
砂糖は、モルヒネと同じ仕組みで、脳のβエンドルフィン受容体を活発化させる作用がある。

血糖値の上昇も、砂糖依存症を招くもうひとつの特徴。
空腹時に砂糖を摂取すると、血糖値は急上昇する。
すると、膵臓からインスリンが一気に分泌され、血糖値が急低下、一転して低血糖状態になってしまう。
低血糖になると、今度は脳が「エネルギーが足りない!空腹だ!」と判断し、「糖分を摂取しろ!血糖値を上げろ!」と命令してしまう。
砂糖は血糖値を乱高下させる作用があるため、空腹かどうかに関係なく、繰り返し砂糖を求めてしまうことになり、依存症となってしまう。

オナニー依存

性欲は、睡眠欲や食欲と並び、生物の三大欲求であり、他の2つの欲求と同様に非常に強力で、抗いがたい。
インターネットが発達し、性的な物がいつでも簡単に見れる環境が整っているし、アダルト産業はどんどん裾野を広げていっている。
日本では自慰やセックスについてまともに教育もしないので、真っ先にアダルトビデオを観て歪んだ性知識とオナニーを独学で身につけてしまう。
そのため、正しい対処法を見つける事も出来ずに、簡単に依存症となってしまい、むしろ青少年は毎日オナニーするぐらいが健康でヨロシイ、といった間違った観念が植え付けられている。

巷で素晴らしい効果が喧伝されている「オナ禁」
しかし、オナ禁をやってみようとすると、多くの人は三日も持たないし、1週間以上続けられる人は極めてレア。
性的興奮をしたり自慰を行う事で、アヘンに似た「オピオイド」という成分が分泌されるため、自分の意思だけで止める事は困難。

自慰を行うと異常な量の快楽物質が出て少しずつ脳が蝕まれていく。
脳は快楽、刺激に慣れていき、感性が鈍っていき、特にオナニーしても楽しい気分になるわけでもなく、「賢者タイム」で虚脱感を味わい、後悔ばかりが募るだけ。
いつも射精後に鬱になって後悔するのに、止められない。
煙草酒糖質と異なり、オナニー依存を治療してくれる医者は極めて稀で、世間でもまるで認知されていない。
自慰には他の依存症と比べて強力なセーフティがあり、連続して出来ないようになっており、テクノブレイクにまで至る危険性は少ない。

射精後に性的衝動が急激に低下する状態「不応期」、通称「賢者タイム」
まるで抜け殻になったかのようにボーッとしてしまったり、自分の世界に入り込んでしまったり。
極稀に性欲がゼロになった代わりに思考がクリアになってバリバリ仕事に打ち込めてしまうような羨ましい人もいるようで・・・
射精後すぐに頭を切り替えて動ける人から、2〜3日間悪影響を引き摺る人まで、恐らく出世出来るかどうかの分かれ道は、賢者タイムの質と時間によって左右されているのであろう。

射精後の男性の体内では、「プロラクチン」という乳汁分泌ホルモンが大量に分泌される。
この「プロラクチン」は、女性の母乳分泌を促進したり、産後の女性の性欲を減退させたりするなど、女性の子育てにも深く関わる「子育てホルモン」なのだが、射精後の男性の体内にも大量に分泌され、一気に性欲を減退させる効果を発揮する。
副腎皮質ホルモンでストレスホルモンとしても知られる「コルチゾール」も射精後に上昇する。
「コルチゾール」も嬉しくないホルモンであり、射精という行為は、増えて嬉しくない「プロラクチン」と「コルチゾール」が急上昇してしまう、大変に弊害が多い行いである。
連射も可能なタフな男性は、射精後に「プロラクチン」が上昇しない事が要因とされている。
勃起不全治療薬として有名な「バイアグラ」には、プロラクチンの分泌を抑制する効果も含まれており、プロラクチンの上昇さえ抑制出来れば、2回戦も可能なタフな男になれるという事が証明されている。

一方、男性が性的に興奮している時には盛んに分泌されている「ドーパミン」は、射精した瞬間に急低下してしまう。
実は「ドーパミン」にはプロラクチンの上昇を抑える働きがあるとされているが、逆に射精後は「プロラクチン」の大量分泌によって「ドーパミン」の働きが抑えられてしまう。
「ドーパミン」と「プロラクチン」はお互いに対照の関係にあり、一方が分泌されれば、もう一方は抑制される。
男性ホルモンの代表格である「テストステロン」も、射精をする直前まで高まり続け、射精後には急低下してしまう。
「ドーパミン」と「テストステロン」は、活力と気力の根源であり、このホルモンの分泌が抑制されてしまうことで、無気力で鬱な状態に陥り、惰眠を貪る事になってしまう。

ただ、「ドーパミン」と「テストステロン」が減少し、「プロラクチン」の量が増えた男性は、パパとしては「理想の存在」ともいえる。
性欲が減退し、浮気もしなくなる。
プロラクチンは母性行動を促す効果もある事が知られており、男性でもプロラクチンの分泌量が増えれば、子供に対して自然と愛情を注げるようになる。
筋肉は減少してしまい、肥満傾向にはなるが、攻撃性が減り、柔和な人間になる。

自然のメカニズムとしては、男女ともに性行為を終えて、子供が出来ると同時に「プロラクチン」の分泌量が増えていき、「性交モード」から「子育てモード」に切り替わっていく。
しかし、子供が出来る前からプロラクチン値が高くなってしまう場合、男女ともに不妊の原因となってしまう。

射精をすると、良性の男性ホルモンである「テストステロン」が減少してしまうのに対し、典型的な男性型脱毛症であるAGAの原因とされている悪性の男性ホルモンとされている「ジヒドロテストステロン」が大量に分泌されてしまう。
ただ、射精をしない限りは分泌されない「プロラクチン」などのホルモンとは違い、性的興奮を催している射精前段階から高まっていくとされている。
「ジヒドロテストステロン」には、ヒゲやスネなどの部位では発毛や育毛を促す効果があるのに、頭皮にだけは脱毛を引き起こしてしまう。
頭はツルツルなのに、胸毛ワキ毛すね毛などはボーボーの剛毛、というタイプの男性は、ジヒドロテストステロンの分泌が過剰であるケースが多い。
この「ジヒドロテストステロン」の分泌を抑える事が出来るからこそ、「オナ禁」には良い効果があるとされている。

あと、セックスの場合には、「幸せ・愛情ホルモン」とよばれる「オキシトシン」が分泌されるが、オナニーではこの「オキシトシン」が特に分泌されない。
射精後に「ドーパミン」が減少して「プロラクチン」が分泌され、「賢者タイム」に突入するメカニズムは、オナニー・セックスともに共通する現象だが、「オキシトシン」の分泌という面で決定的な差があり、「プロラクチン」がもたらすメリットも、パートナーも子供もいない独身男性にとってはデメリットしかない。
明らかに「セックス」に比べて「オナニー」にはデメリットしかなく、まさに百害あって一利なし。

依存症

依存症において、「少しだから大丈夫」は間違い。
精神医学的には、それぞれの依存症ごとに細かく「診断基準」や「テスト」といったものが存在している。
それらの診断基準は、医学的に曖昧さを排除するために、かなり細かく定められている。
全員を治療するわけにもいかないため、「線引き」せざるを得ないという必要性に迫られて、結果的にかなり細かくなっているという事情がある。
下手に診断テストを受けた結果、「ギリギリ大丈夫!」と思ってしまい、どんどん深みにハマっていってしまう可能性もある。

そもそも、依存症は「否認の病」とも言われており、基本的に依存症の人間というのは、自分が依存症である事を認めたがらない。
診断基準なんてものは目安に過ぎず、依存症という病は気づかないうちにどんどん重くなっていく。

依存症と食虫植物は一緒

アラン・カーは言った、依存症と食虫植物は一緒である、と。

どんな依存対象も、快感によって人々を魅了する。
これは食虫植物の蜜に魅了され、惹きつけられる虫と一緒。

依存対象によって齎される快感には慣れがくるため、どんどん量が増えていく。
食虫植物に惹きつけれれた虫も、食虫植物のフチから少しずつ中心に近づいていく。

途中でマズイと思う人もいるが、一度始めるとやめられない。
虫だって、消化液を目の前にして命の危機を感じたとしても、魅惑的な蜜の魅力には抗えない。

ダメージも蓄積され、社会的な支障も出てきた上、最終的にはまともに社会生活を送れなくなったり、死んでしまう事にもなってしまう。
食虫植物の消化液に落ちて、溶けるのを待つ虫と同じように。

コメント

タイトルとURLをコピーしました